COLUMN

イランと日本の意外な繋がりや共通点

シルクロードの端と端

イランというと何を思い浮かべるでしょうか?

遥か昔、千数百年前の「シルクロード」の時代、日本とイランは東西の端と端として繋がっていました。

その頃イランは“ペルシャ(もしくはペルシア)”と呼ばれていました。

歴史上有名な “ササン朝ペルシャ”や“アケメネス朝ペルシャ”は、広大な領土に及ぶ大帝国を築き上げていましたが、その頃の文化の交流を物語る品々が今もなお残されています。

芸術・文化の最先端だったペルシャ

イランの歴史をひもとくと、実にさまざまな文化の発祥地だったことがわかります。

例えば、人気のペイズリー柄や唐草模様は、ペルシャから生まれて伝わったものです。

また、奈良の遺跡からは、ササン朝ペルシャ時代のものとされるガラス工芸品や陶器が出土されています。

今でもイランの工芸品には日本の製品と相通じるテイストのものがありますが、それは逆に、もとはアジアの最西端からインドや中国を通って遥か日本へと伝わってきたものなのです。

ペルシャ更紗

ササン朝ペルシャの切子ガラス碗

奈良の正倉院に収蔵されているペルシャの”瑠璃の坏”

祇園祭と太閤秀吉の陣羽織

京都の夏の風物詩・祇園祭ではよく見ると山鉾の側面に豪華なペルシャ絨毯が飾られています。

祇園祭は、千百年の伝統を持つ八坂神社のお祭りですが、いつからか舶来ものの装飾も使われるようになりました。
300年前のものと言われる日本に現存する最古のペルシャ絨毯を使っている山鉾もあり、日本とイランの芸術の交流・融合を象徴しています。

また、かの有名な豊臣秀吉は、ペルシャのキリムという綴織を元にして陣羽織を作らせました。
「秀吉の陣羽織」と呼ばれる絹製綴織鳥獣文陣羽織は、京都の高台寺に所蔵されています。

このように、日本とイランは歴史上深い交流を経て今に至っているのです。

祗園祭の山鉾

秀吉の陣羽織

家に入るときは靴を脱いで

イランの家庭では、日本と同じく玄関で靴を脱ぐのが常識です。

西洋とは違い、家具も少なめで、基本的には「床の生活」が伝統です。

そして、冷たい床を絨毯が覆います。イランの家庭では、あらゆる部屋に絨毯が敷きつめられています。

伝統的な家庭での食事の様式も、絨毯の上に布やお盆を敷いて床で食べるというもの。

寝るときは布団を敷きます。そして、なんと「こたつ」もあります。

日本とよく似たこたつで、冬はこたつに入ってみかんを食べる風習すらあるのです!

イランのこたつ

主食はコメ

イランでは「ナン」と呼ばれるパンもよく食べられますが、基本的に主食は「コメ」です。水田でのコメ栽培も盛んです。

ただし、イランのお米は日本のものとは違い、細長い形をしていて香りがついています。そして、日本のコメより少しパラパラしています。

代表的なイランのコメ料理は「ポロ」という炊き込みご飯です。

イランの楽器は奥が深い

“ペルシャ帝国”として大変古くからの歴史あるイランでは、独特の音楽が発達してきました。

イラン発祥の楽器には、現代人が使う楽器の原型がいくつもみられます。

「セタール」は「三弦」という意味を持ち、日本に伝わった琵琶と非常によく似ています。

日本では三味線のもととなったものですが、つまり西洋ではギターの原型です。

「サントゥール」という打弦楽器はピアノの祖先です。とても幻想的な音色をしています。

セタール

サントゥール

イランの「おもてなし文化」

イラン人には、年上の人を敬い来訪者を温かくおもてなしするという慣習があります。

旅行などでイランを訪れる外国人は、イラン人の歓迎ぶりに驚いてしまうほどです。

これは、古くから交通の要所としてさまざまな国の人が訪れてきたことに起因するのかもしれませんね。