ABOUT PERSIA

ペルシャについて

ペルシャとイラン

ペルシャとイランってどこが違うんでしょうか?
地域については同じです。
ペルシャという言葉は主に文化や特産物・歴史や言語などといったものに用いられます。
この呼び名の由来は、古代ギリシャの歴史家がペルシャ人の移住した「ファールス」地方にちなみPerse、Persanと呼んだことによる西欧的なもので、
日本でもそれにならい「ペルシャ」「ペルシア」、あるいはその漢字表記である「波斯」が長年用いられていました。例えば「ペルシャ絨毯」とは言いますが、
「イラン絨毯」とは言いません。
対してイランは「アーリア人の国」を意味する現代の国名です。正式名は「イラン・イスラム共和国」です。

ペルシャ5000年の歴史!!

「アケメネス朝ペルシャ」や「ササン朝ペルシャ」という名前を聞いたことがありますか?
ペルシャの歴史は実に深く、発祥はなんと紀元前3000年頃の原エラム時代。
その後古代オリエント世界の広大な領域を統治する「ペルシャ帝国」として世界史に燦々たる功績を残していきます。ペルシャはメソポタミア文明とインダス文明に挟まれた地域であり、活発な交易活動の舞台でした。のちに西洋と東洋を繋ぐかの有名な「シルクロード」の中継地となります。
ペルシャにはオリエント中の富が集められました。
紀元前550年頃にはアケメネス朝ペルシャが西はエジプトから東はインドの一部までを征服します。そのとき王座に就いたダレイオス1世が建設したのが、現在ユネスコの世界遺産にも登録されている古都ペルセポリスです。
ペルシャ5000年の歴史!!
ペルセポリス
ペルシャ5000年の歴史!!
イスファハンのイマーム広場(王の広場)
226年にはササン朝が強大なペルシャ帝国を造り、ローマ帝国やイスラム帝国に文化・政治体制などの面で多大なる影響を及ぼしました。特にこの時代に発達した美術や文学や建築技術は、現代のペルシャ芸術にも大きな遺産を残しています。
その後トルコやモンゴルによる土地の略奪や政権闘争を繰り返しながら、1501年にイスラム教を国教に掲げたサファーヴィー朝が成立します。この王朝の最盛期に君臨したアッバース1世は、イスファハンに遷都し、その繁栄ゆえに当時イスファハンは「世界の半分」と謳われました。その中心である「イマーム広場(王の広場)」一帯はユネスコの世界遺産として登録され、観光客の目を楽しませています。
19世紀に入ると民主化の波がペルシャにも押し寄せ、国民は当時のパフラヴィー朝を倒し1979年にイラン・イスラム革命を起こします。ここにシャー(王)の独裁政治は終わりホメイニ師のもとイスラム共和国が樹立され、現在に至ります。

国土の広さは日本の4倍以上!

イランの国土は日本の4倍以上もの広さがあります。
何となく「年中暑い国」というイメージを持たれている方も多いかもしれませんが、実は地方によって四季もあります。首都のテヘランは、夏は乾燥していて暑くなりますが冬は寒く氷点下まで下がることもありしばしば雪も降ります。
国土の三方を3000~4000メートル級の高い山脈が囲み、その内側にはキャヴィールとルートの二大砂漠が横たわっています。北には世界最大の内陸湖・カスピ海、南にはペルシャ湾。雨は少なく乾燥した砂漠気候あるいはステップ気候の地域が国土の大半を占めています。多くは寒暖の差が激しい地域です。
ペルシャ人の主な生活舞台となってきたのは山岳地帯と砂漠盆地にはさまれたイラン高原。雨は冬季に集中し、干ばつや洪水被害に見舞われることもあります。
こうした自然環境に適応するための生活様式が古くから生み出され、それがペルシャ絨毯という織物文化にも繋がっています。小オアシスの定着農業や、季節に合わせて移動を続ける遊牧民の牧畜業。そしてそれらを結びつける大オアシス都市の手工業やバザール商業です。
国土の広さは日本の4倍以上!

31の州と多様な民族性

歴史的に数々の舞台を繰り広げてきたペルシャの民族は複雑で多様です。
海を隔てる対岸国を含めれば、イランは実に15もの隣国を持ちます。北西にアゼルバイジャン、アルメニア、北はカスピ海に臨み、北東にはトルクメニスタン、東にはパキスタンとアフガニスタン、西にはトルコとイラク、南にはペルシャ湾とオマーン湾。これだけ多数の国との国境を有し隣国を持つ国は他にはほぼ見られません。
総人口は8,280万人(2019年世界人口白書)で世界17位。増加傾向にあります。
パールスの語源は「騎馬者」を意味するということに見られるとおり、イランの人々はもともと騎馬民族だったと考えられます。
イランの州は31あり、国土の広さと地形や歴史・隣国の多さゆえに民族性も多岐に渡ります。ペルシャ人は約半数、その他にトルコ系、クルド系、アゼルバイジャン系、アラブ系の違った言語を話す民族がいます。またロル族・バクティアリ族・バルーチ族・カシュガイ族・シャーサヴァン族・アフシャール族・トルクメン族・バーセリー族等々、さまざまな部族民がそれぞれ棲み分けをし、独特の文化を育んできました。遊牧をしながら生計を立てている人々も年々減少しているものの未だ現存し、彼らが織りなす織物は部族名で市場に出て取り引きされます。非常に地方独自の特色の濃い魅力的な部族絨毯(トライバルラグ)がたくさんあります。
ペルシャは多種な民族の移動と交易における重要な位置にあり、それゆえ貴重な文化遺産や伝統を数多く残しているのです。
31の州と多様な民族性

ペルシャはアラブじゃない!?

イランは天然資源に非常に恵まれた地であり、原油・天然ガスの産出量はともに世界第2位を誇ります。
しばしばイランはアラブ世界の一部だと勘違いされることも多いかと思います。
しかし、言語はペルシャ語とアラビア語、人種もイラン・アーリア系とアラブ系とそもそも異なります。もちろん国境を接している地域ではアラブ系の民族が住んでいたり、逆にペルシャ人が外に住んでいたりするケースもありますが、基本的にはペルシャの文化はアラブの文化と違うと捉えていいでしょう。
暦については他のイスラム諸国同様ヒジュラ暦(イスラム暦)を使います。西暦では数えません。
宗教はイスラム教シーア派が9割とほとんどを占め、次いでイスラム教スンニ派、他に非イスラムの宗教的マイノリティがおり、主なものにゾロアスター教(ササン朝時代の国教)、ユダヤ教、キリスト教、バハーイー教などがあります。イランの習慣の中にはゾロアスター教の影響を受けるものが多いです。
例えば新年は春分の日にあたり、「ノウルーズ」と呼ばれて日本のお正月のような祝祭的行事がありますが、それはゾロアスター教の宗教儀礼に由来するものです。イスラム教国家ではありますが、ゾロアスター教はいわゆる日本で言う神道のような感覚でペルシャに根付いているものなのかもしれません。
ペルシャはアラブじゃない⁉

ペルシャの文化

■絵画
タイルに描かれた壁画
タイルに描かれた壁画
ペルシャ絵画は壁画や写本挿絵に多く見られます。宮殿や豪華な住宅などの建築物に描かれた壁画は貴重な文化遺産としていくつか残存しています。
モチーフはペルシャ絨毯の柄とも濃い繋がりがあります。動物、叙事詩の一場面、宴会や狩りなどの娯楽の場面、謁見などの宮廷の場面などに加え幾何学文や植物文、アラビア文字からなる装飾パターンなど。 イスラム教では偶像崇拝を禁じているため神の姿は描かれませんでしたが、その代わりに神を讃えるアラビア文字や葉や花、茎といった植物の一部、あるいは動物の体の一部が様式化されて幾何学的に作図されています。
また、写本挿絵は、多彩な色を使って微妙な色調で非常に細密に描写されています。「細密画(ミニアチュール)」として有名です。その創造力あふれる構図と鮮やかな色彩、魅惑的な人物や動物の描写、そして特に緻密な細部表現は今もなお人々の心をとらえています。
■建築
イスファハンのイマーム・モスク
イスファハンのイマーム・モスク
ペルシャの建築物といえば何と言ってもモスクでしょう。イラン各都市にある建物のドームや壁面を覆う色鮮やかなタイルの数々を見るとまるで夢のような心地になります。
それに比較して周りの街並みは黄土色のレンガや泥壁といった茶色っぽい地味なテイストです。土色一色の世界を抜け、突如モスクに遭遇するとあっと声をあげそうになります。このように強い視覚的印象を与える色彩豊かなタイルは一般の住宅に用いられるということはほとんどなく、宗教的・公共的な建築物だけに大切に用いられ、あたかも宝石のように扱われているのです。
また、忘れてならない観光地にペルセポリスがありますが、この遺跡群で見られるモチーフも後世の美術に多大な影響を与えました。ペルセポリスが首都とされたアケメネス朝の時代は、その繁栄と権力を誇るためにその時代としては高度な建築技術で壮大な街が建設されました。
■文学
文学
ペルシャは詩の国。ペルシャにおいて詩は、古典・現代に限らず人々に愛され続けてきました。イランの書店でも詩を扱っているコーナーの大きさが目につきます。日本の俳句や短歌にも相通じるような韻を踏むペルシャ語の詩の響きは美しく、非常に芸術性が高いものとなっています。中でも有名な詩人がハーフェズです。
また、ペルシャ文学を語る上で重要なのが「シャー・ナーメ(王書)」です。10世紀初頭に作られた国民的叙事詩であり、おそらく世界文学史上もっとも長い作品の一つです。その写本は美術品として挿絵画家らにより美しく装丁され、その絵の中で絨毯のモチーフとなっているものも少なくありません。
ところで、かの有名な「千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)」のもとはササン朝ペルシャの「ハザール・アフサーナ(千物語)」が、アッバース朝時代にアラビア語に翻訳され写本化されたものであるということです。「アラビアン・ナイト」なのにもとはペルシャの物語なのです。子供の頃誰もが夢見た「空飛ぶじゅうたん(魔法のじゅうたん)」もペルシャ絨毯に乗っていたということになります。
■書道
書道
ペルシャにも日本同様書道というものが存在します。基本的には日本の書と同じく、筆に墨をつけて紙の上に書きます。書道は古来からあり、石板や粘土の板の上に書くよりも、尖った棒に墨をつけて羊皮紙の上に書いていたようです。色も、基本的に白地に黒い墨で書きます。
アラビア文字は神の文字とされていて、イスラム美術において神像・偶像の代替的役割を果たしました。視覚的にきれいなその文字は、イスラム美術の抽象的な装飾とうまく調和し、モスクのタイルや絨毯のモチーフなどに用いられ、重要な装飾技術のひとつとなっています。
■映画
中東諸国の中でもっとも盛んに映画が製作されているイラン。その芸術性の高さはヨーロッパなどで非常に高く評価されています。海外映画祭にも多数出品・受賞され日本でも注目度が高まっています。
アッバス・キアロスタミ監督、モフセン・マフマルバフ監督などの作品の人気が高く、またアスガル・ファルハーディー監督、マジッド・マジディ監督など海外でも評価の高い力作があります。
イランの生活や自然を舞台にどちらかというと淡々とした手法で、人間模様や人生の切なさを静かに描いたものが多いように感じられます。
■イランと日本の意外な繋がり
イランと日本の意外な繋がり
イランと日本は遠い国のように思われる人も多いかもしれませんが、実は意外な繋がりや共通点がたくさんあります。
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ペルシャ語は鐘のような響き

ペルシャ語はアラビア語と同じ書体を使っているためアラビア語と似た言語と考えられがちですが、文法的にはまったく異なるもので、そもそも別の言語系統に属しています。日本語と中国語の関係に近いと説明すればわかりやすいかもしれません。日本語や西欧の言語と大きく異なるのは、文章を右から左へ書くことです。
単語は西欧の言語とも東洋の言語とも違う独特の響きがあります。なるほどペルシャは詩の文化であると思わせる、ゆったりとした穏やかな美しい響きを持っています。余韻の残る鐘の音のような味わいです。

ペルシャの食文化

ペルシャ料理はペルシャ絨毯と同様、彩り豊かで複雑なものだと言われています。
コチラのコラムにてペルシャの料理や食材・食習慣・スパイスやハーブなどのお話を
詳しくご紹介しています。
ペルシャの食文化

ペルシャ絨毯

ペルシャと言われて世界で有名な「ペルシャ絨毯」をすぐに連想する人は少なくないでしょう。
ペルシャ絨毯の伝統技術は古代から脈々と受け継がれ現代に至ります。絨毯は、もともとは遊牧民が移動しながらのテント生活に運びやすく便利で使いやすい道具として用いられていました。縦糸と横糸で編んだ平織りの「キリム」です。やがて横糸に結ぶパイル糸が平面から立ち上がった構造を持つ敷物が生まれます。キリムより複雑な模様ができ、ふかふかした厚みを持つペルシャ絨毯です。
絨毯は靴を脱いで床で生活する文化を持つペルシャでは欠かせないものです。生活必需品だった絨毯は、王朝時代などを経てだんだんと装飾的になっていき、シルクやウールの繊細で瀟洒な絨毯は室内装飾品として広まり、豪華な美術品としての価値を持つものも現れてきました。
テヘランのゴレスタン宮殿
テヘランのゴレスタン宮殿
ペルシャ人やその周辺の国々の人はもとより、西欧人に広まり、アメリカやアジアまで世界中の国々の重要な建築物や豪邸などでペルシャ絨毯を見ることができます。
ペルシャ絨毯のモチーフはいまや世界的にポピュラーな模様です。微妙な有機的曲線で描かれる蔓草模様や、有名なペーズリー模様はペルシャを起源としたものと言われています。
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